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国指定文化財(彫 刻)
本尊木造千手観音立像
国指定重要文化財(彫刻) 平安時代後期 像高184.5cm
千葉 智満寺 S25.8.29 指定 智満寺 島田市千葉254
榧(カヤ)材の白木で、前後を側面で接合したいわゆる寄木つくりです。その表情は温和で天衣の彫りも深く、地方仏師の作とされています。秘仏で、60年に1度のご開帳、(次回は2054年)がおこなわれます。本尊の厨子は、入母屋三方造り本瓦葺様、外面は全部極彩色を施してあります。
明治33年(1900)年に国宝に指定され、昭和25(1950)年、法律の改正により重要文化財に再指定されました。
阿弥陀如来及諸尊像刻出龕
(あみだにょらいおよびしょそんきざみだしがん)
国指定重要文化財 (彫刻) 平安時代後期
幅14.7cm×奥行き8.75 cm 智満寺 島田市千葉254
北条政子の持念仏だったとされています。阿弥陀如来を中心に、前後左右に7体の仏像が赤栴檀(あかせんだん)の龕 (がん)(小型の厨子)から一体に刻まれていて、その表情はもちろん光背台座に至るまで精密を極め、荘厳な様式など、藤原末期の特徴がよく表われています。大正12(1923)年5月3日に国宝に指定され、昭和25年(1950)年8月29日の法律の改正により重要文化財に再指定されました。
国指定文化財(絵 画)
絹本著色釈迦十六善神像
(けんぽんちゃくしょくしゃかじゅうろくぜんしんぞう)
国指定重要文化財 (絵画) 鎌倉時代後期
慶寿寺・島田市教育委員会 S25.8..29 指定
絵仏師、宅間了尊の筆によるものとされ、仏画の構成は画面中央部、天蓋の下に釈迦如来が座し、その下に文殊菩薩と普賢菩薩を配して、さらに左右に八体づつ十六善神が守護し、右隅に三蔵法師が描かれています。全体的な描写は、宋様を帯びた雄輝な筆づかいの優れた傑作です。明治33(1900)年に国宝に指定され、昭和25(1950)年、法律の改正により重要文化財に指定されました。
国指定文化財(天然記念物)
智満寺の十本杉
千葉 智満寺 S37.6.9指定
千葉山智満寺付近に生い茂る杉の中から特に大きく由来のあるものを十本杉(開山杉、大杉、達磨杉、雷杉、常胤(つねたね)杉、径師(つねもろ)杉、一本杉、盛相(もっそう)杉、子持杉、頼朝杉)と呼び、親しんできました。 なお、開山杉と子持杉は倒木したため現存しません。 昭和37(1962)年6月9日、国の天然記念物に指定されました。
国指定文化財(建 造 物)
智満寺本堂附本尊千手観音厨子及び棟札
国指定重要文化財(建造物)
智満寺 島田市千葉254
智満寺智満寺は、島田駅から北へ約7kmの千葉山にある天台宗の古刹です。寺伝によると、創建は奈良時代で、鑑真の法孫にあたる広智という高僧が草庵を結んだのが始まりといわれています。平安時代中期以降は、修験道の霊場である山岳寺院として栄えたと考えられます。その後、今川氏、徳川氏の信仰が厚く、諸堂の修理が行われていますが、特に徳川家康は、天正17年(1589)現在の本堂の再建に着手し、翌年に完成したといわれ、本堂内の観音二十八部衆は、茶阿の局・天海僧正・島田の有力者・志田榛原地区の代官などが寄進しています。智満寺には本尊の千手観音のほか国指定の重要文化財をはじめ、県指定、市指定など多くの文化財が伝わっています。智満寺本堂木造入母屋造流向排付茅葺で、内部は中間で格子により内陣と外陣に仕切られています。杉材を用いた木割りは太く、豪放な手法は、桃山文化の影響を受けているといわれます。附本尊千手観音厨子本堂の内陣正面に安置されている本尊の厨子です。木造で、構造は入母屋三方造本瓦葺様、三手先斗拱、二重軒で、木割は細かいが、蛙股等は桃山時代の様式も継承していると考えられます。外面は金箔を用いずに極彩色を施し、左右の両羽目は全体に薬草を浮き彫りにしてあります。附棟札天正17年(1589)に本堂を再建した際の棟札です。これによると、本堂は天承17年(1589)に再建し、翌年完成しました。
川会所
番宿
島田宿大井川 川越遺跡
大井川川越遺跡周辺島田駅から西へ約2Km行くと、大井川の東側、旧東海道沿いに国指定の史跡「島田宿大井川川越遺跡」があります。 旅人が川札を買った「川会所」をはじめ川越し人足が集合していた「番宿」や「札場」など当事の町並みが復元されています。また人形浄瑠璃「生写朝顔日記」にちなんだ「朝顔の松公園」などが隣接し、江戸時代のノスタルジーを感じながら博物館から分館へ通じるルートは欠かせないスポットになっています。大井川の川越し慶長6年(1601)徳川家康は、東海道に宿駅伝馬制度を設け街道の整備をしましたが、大井川、安倍川など6つの川には橋を架けず徒歩での通行と定めました。「箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川」と唄われたように、大井川は東海道最大の難所で、増水のため川留めになると旅人は水の引くのを何日も待つことがありました。川越しの管理・統制は、はじめ島田代官・宿場役人の役目でしたが、元禄9年(1696)になると新たに川庄屋が任命されました。やがて、川会所が置かれ川越し制度は確立されていきました。大井川を渡るには、川札を川会所で買い、川越し人足に渡して人足の肩や蓮台に乗り川を越しました。川札の値段は、毎日川幅と深さを測って定められました。川越し人足の数は、初め、島田、金谷でそれぞれ350人と決められていましたが、幕末には650人を超えていました。 昭和41年8月に国指定史跡に指定されました。
諏訪原城跡
島田市菊川1174番地
大井川の右岸・牧之原台地北部に位置し、東は大井川、西は小夜の中山の険しい山に面しています。はじめ武田信玄が徳川氏への備えとして砦を築いたと伝えられ、その後、息子の勝頼によって天正元年(1573)大規模な築城がなされ、その城跡が今日に残っています。本丸、二の丸、三の丸のほか西の丸、帯郭(おびぐるわ)、腰郭(こしぐるわ)、搦め手(からめて)などを備えています。堀は自然堀と人口堀とをたくみに配し、武田流の築城術や軍略を知る名城といわれ、戦国時代の貴重な山城です。 現在、島田市では史跡整備に向けた発掘調査を実施しており、中世のお墓(石塔)を転用した門の礎石や土塁が確認されています。昭和29年(1954)年に県の史跡に、昭和50年(1975)11月25日に国の史跡に指定され、平成14年に追加指定を受けています。
島田市博物館 文化財係 電話・FAX 0547−35−3008e-mail:hakubutu@city.shimada.shizuoka.jp