島田の文化財

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   市指定文化財
 ( 絵    画 )

しゃ か ね はん ず
釈迦涅槃図

 (所蔵:金龍山洞善院) 

釈迦涅槃図は、二月十五日の涅槃会(ねはんえ)の日に寺院で掲げて釈迦の偉大な得を偲び、仏の教えに生きることを誓うものです。この釈迦涅槃図(しゃらそうじゅ)は、沙羅双樹の林で世を去る釈迦の姿を中心に描き、周囲にはその前後の七つの場面を配しています。
 洞善院(とうぜんいん)の釈迦涅槃図は、金谷出身で江戸時代後期の画家である丸尾月嶂(まるおげっしょう:1726〜1827)が妻の死をきっかけに、三年半をかけて文化14(1817)年に描きあげた九尺八尺(280×240センチ)のたいへん大きな絵図です。

 

 昭和45(1970)年2月14月、金谷町(当時)の指定文化財に指定されました。

 

       

       
   市指定文化財
 ( 絵    画 )

けんにょしょうにんえぞう
顕如上人絵像

 (所蔵:仏光山西照寺) 




 顕如上人(1543〜1592)は真宗大谷派の第十一世で、安土桃山時代には、真宗を弾圧した織田信長と石山本願寺で十一年間戦ってきた僧侶です。顕如上人はその後、文禄元(1592)年に豊臣秀吉が寄進した京都七条堀川の地にて西本願寺を建立しました。

 さらに時代がくだり第十三世宣如(せんにょ)上人のころ、火災で焼失した本願寺の再建のため、浅草東本願寺に向かって関東へ下向していた本願寺の一行が金谷宿に逗留した際、宣如上人の命をうけて誓玄法師(せいげんほうし)が金谷に留まり布教の場としてお堂を建てたといいます。そして、宣如上人が江戸から京都へ帰るおりに誓玄法師に下賜した宝物の一つが、この顕如上人絵図といわれています。誓玄法師はこの絵図を堂内に安置して寺院としての体裁を整え、寛永四(1627)年、寺院は落慶して本山から西照寺の寺号を授かったとのことです。

 

昭和53(1987)年2月13日、金谷町(当時)の指定文化財に指定されました。

 

       

       
   市指定文化財
 ( 工    芸 )

さ ん こ う じ   うんばん
三光寺の雲板

(所蔵:満家山三光寺)


宝永7(1577)年  縦91cm、横76cm

 雲板は禅寺の仏具です。住み込みの仏僧の生活のため寝起き、食事、坐禅(ざぜん)などの際合図として打ち鳴らすもので、輪部が雲の形をしていることからその名がつけられました。
 三光寺の雲板は江戸時代中期に家山村の住民が寄贈したもので、施主として19名の名前が刻まれています。

昭和58(1983)年6月1日、川根町(当時)の指定文化財に指定されました。

 

      

   
   市指定文化財
 ( 工    芸 )

ひ よ し じ ん じゃ     しんきょう         
日吉神社の神鏡(三十枚)

(保管:島田市博物館)


鎌倉時代〜江戸時代 直径7cm〜12cm

 千葉山日吉神社には、古来より様々な大きさ、意匠(いしょう)の鏡が奉納されてきました。これらの鏡は飛鳥時代後期以降中国から渡ってきた「唐式鏡」の影響を受けた「和鏡」と呼ばれ、現在の鏡と異なり鋳造により造られた金属製の鏡です。鏡には縁に穴が開けられており、これはかつて鏡を例祭の神輿にぶら下げていたためと伝えられています。

 現存する三十枚の鏡は鎌倉時代から江戸時代までのものとされ、4月に行われる日吉神社の例祭の際には一般にも公開されています。



昭和45(1970)年8月1日、島田市指定文化財に指定されました。

 

       

      
   市指定文化財
 ( 工    芸 )

 

はくさんじんじゃないきょうづか         きょうづつ どうきょう
白山神社内経塚出土品 経筒・銅鏡

(所蔵:大代地区)


平安時代 経筒の高さ20cm、銅鏡の直径10cm

 経筒とは、「納経(のうきょう)」と呼ばれる宗教的行為に使われた道具で、中に経典(きょうてん)を入れて経塚に納める円筒形の容器です。日本での納経は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて末法思想(まっぽうしそう)が普及したころに特に盛んに行われていました。

 昭和二(1927)年に白山神社の神殿改築の際に四筒の経筒と三枚の銅鏡が出土しました。経筒は白色の陶製円筒形、銅鏡は三枚のうち一枚は芦花と対の鶴が施されたもので、表面には墨で「保延丙辰(保延二年)」と書き込まれていたので、1136年ごろに作られたものと考えられています。


昭和60(1985)年2月23日、島田市指定文化財に指定されました。

       

      
   市指定文化財
 ( 工    芸 )

 

そうちょうあん      
宗長庵けいす

(所蔵:円通寺普門院)


文化10(1813)年 径33.3cm 高26.3cm

 このけいす(磬子)は、青銅製で椀型をしています。江戸時代後期の禅寺であった宗長庵にあったものですが、宗長庵が廃寺になったあと、隣接する普門院が保存してきました。宗長庵はもともと島田宿の名士であった塚本如舟(つかもとじょしゅう)が茶室として建てたもので、のちに神戸源五郎という人物が建て直して禅宗の寺格を得たとされ、けいすはそのときに寄進されたものです。

 刻銘には「初董比丘日鉢道人吟龍叟、時文化十癸酉八月到彼岸日開基神戸源五郎喜捨」とあります。


昭和32(1957)年10月5日、島田市指定文化財に指定されました。


       

      
   市指定文化財
 ( 書    籍 )

 

      ばしょうしんせき  た う え    れ ん く    
芭蕉真蹟「田植の連句」

(所蔵:島田市博物館)


元禄7(1694)年 縦31.0cm 横44.0cm

     「やハら可(か)に 堂けよ(炊けよ)ことしの 手作麦
                 田植とゝも耳(に) 堂ひ(旅)の 朝起」

「懐紙(かいし)」という和紙に書かれて連句を表装したもので、上の句(発句)を塚本如舟が、下の句(脇句)を松尾芭蕉が詠んだものです。背景には、淡彩で麦の絵が描かれています。

 詞書(後書き)で、「元禄七、五月雨耳(に)降こめられてあるじのもてなし尓(に)心うごきて聊(いささか)筆とる事尓(に)なん」と示されており、晩年の松尾芭蕉が江戸から郷里の伊賀上野へ赴く旅の途中、塚本如舟邸に逗留していたときに書かれたものと考えられます。


昭和32(1962)年10月5日、島田市指定文化財に指定されました。


       

      
   市指定文化財
 ( 書    籍 )

 

                  のぼり
牧之原東照宮の幟

(所蔵:個人所蔵)


明治時代 全長10m 幅1.15m

 十五代将軍徳川慶喜は慶応三(1867)年十月に大政奉還し、江戸を出て駿府に入り謹慎します。慶喜が江戸を出てから駿府に入るまで警護にあたった旧幕臣の集団(「精鋭隊」、駿府に入った時点で「新香組」となる)があり、牧之原台地にはこの旧幕臣の多くが入植し、農民や元川越人足たちと協力して、後に日本有数のお茶どころとして有名な牧之原大茶園の礎を築いていきました。

 牧之原東照宮の幟は、彼ら開墾士族が勧請(かんじょう)した、牧之原東照宮の勧請15周年を祝い勝海舟と榎本武揚が自書し奉納した二流の幟です。


昭和45(1970)年8月1日、島田市指定文化財に指定されました。


       

      
   市指定文化財
 ( 書    籍 )

 

慶寿寺文書

(保管:島田市博物館)


永正3(1506)年 〜 永禄9(1566)年 9通

 今川家ゆかりの慶寿寺には、寺院の開山である遍照光寺頼忠らの判物(はんもの)のほか、今川義元や今川氏真(うじざね)の古文書資料が残っています。これらのうち、次の9点を昭和59(1984)年5月22日 島田市指定文化財に指定しました。

 

・遍照光寺頼忠判物 永正3(1506)年1月28日

 遍照光寺頼忠、建妙(慶寿寺初代住職)に慶寿寺領孫太夫名を安堵する。


・遍照光寺頼忠判物 永正3(1506)年1月28日

 遍照光寺頼忠、建妙に慶寿寺領野田薬師堂田を安堵する。


・頼覚(建妙と同一人物)判物 永正15(1518)年11月26日

 頼覚、慶寿寺領野田薬師堂田を珠泊房(慶寿寺二代目住職)に付与する。


・頼覚判物 永正17(1520)年9月27日

 頼覚、慶寿寺領孫太夫名を珠泊房に付与する。


・珠頂判物 大永6(1526)年1月4日

 珠頂、慶寿寺珠泊房に対し、大津釈迦堂田等の配分を定める。


・承芳(今川義元)禁制 天文5(1536)年6月10日

 今川義元、慶寿寺に禁制を掲げ、寺領を安堵する。


・承芳(今川義元)安堵状 天文6(1537)年11月11日

 今川義元、東演房(慶寿寺三代目住職)に慶寿寺を安堵する。


・治部大輔(今川義元)寄進状 欠年月日

 今川義元、慶寿寺明善(東演房と同一人物)に対し、大津郷花倉方不成名の僧分を氏輝霊経田として寄進する。


・氏真判物 永禄9(1566)年8月20日
 氏真、慶寿寺に一返四分一脚を免除する。  


       

      
   市指定文化財
 ( 書    籍 )

 

東光寺文書

(所蔵:池沢山東光寺)


正平6(1351)年 〜 元和3(1617)年 11通

 東光寺は昔から時の支配者とのつながりが深く、足利氏、今川氏はじめ多くの武将たちからの禁制(きんせい)や判物などの文書資料が残っています。これらのうち、次の11点を昭和591984)年22日、島田市指定文化財に指定しました。

 

・足利尊氏禁制 正平6(1351)年12月13日

 寺内、寺領へ軍勢などの乱入の禁止とその処罰について。


・今川範氏判物 観応3(1352)年7月21日

 今川範氏、寺内寺領へ軍勢などの乱入の禁止とその処罰について。


・今川範政判物 応永20(1413)年11月12日

 今川範政、智谷郷の地頭らの違乱を止め諸公事を免除する。


・今川氏親安堵状 長享元(1487)年10月20日

 今川氏親、東光寺領を安堵し、諸公事を免除する。


・今川義元寄進状 天文13(1544)年12月6日

 今川義元、東光寺領を安堵し紛争中の地を新寄進する。


・今川義元判物 天文21(1552)年7月7日

 今川義元、東光寺に寺院規制を発す。


・今川氏真判物 永禄3(1560)年11月2日

 今川氏真、東光寺の門前棟別四分一人足を免除する。


・今川氏真安堵状 永禄3(1560)年11月14日

 東光寺領の安堵。


・武田勝頼判物 元亀4(天正元年・1573)年8月14日

 武田海賊衆の東光寺押領に対する武田勝頼の裁決。


・徳川家康寄進状 慶長7(1602)年12月10日

 大津庄の内十五石を寺領として寄進する。


・徳川秀忠安堵状 元和3(1617)年2月2日

 家康の寄進した寺領の安堵。


       

      
   市指定文化財
 ( 書    籍 )

 

石田家文書

(所蔵:個人所蔵)


弘治2(1556)年 〜 天正8(1580)年 3通

 相賀白山神社の神事に携わる石田家では、時の支配者とのやりとりに関わる古文書資料が残っています。これらのうち、次の3点を平成13(2001)年6月1日、島田市指定文化財に指定しました。

 

・今川義元判物 弘治2(1556)年10月13日

 相賀高山禰宜(神官)の権益を先例の如く保証する旨を記している。


・穴山信君朱印状 天正8(1580)年1月21日

 鈴木島の内に石田惣七郎が開発した新塩畑1枚を認めるが、その他に荒地を開発した場合は通法の年貢を治めることを記している。


・今川氏真判物 文禄5(1596)年8月3日

 上記の判物内容を改めて保証すること、それに加えて高山白山権現の森林木等の伐採についての規則と軍事無賦役を免除することを記している。


       

      
   市指定文化財
 ( 書    籍 )

 

静居寺文書

(所蔵:青原山静居寺)


天文13(1544)年 ・ 天文14(1545)年 2通

 静居寺は伊太地区に古くからある古刹です。ここに残る中世古文書資料のうち次の二点を平成13(2001)年6月1日に島田市指定文化財に指定しました。

 

・福嶋十郎助昌寄進状 天文13(1544)年9月26日

 今川氏の有力な家臣といわれる福嶋十郎が伊太地区に持つ自分の田畑の一部を静居寺に寄進するということを示した文書。


・今川義元判物 天文14(1545)年正月25日

 静居寺の所有する山林、土地で伐採、殺生などをはたらく者は罰すると記した所領安堵状。


       

      
   市指定文化財
 ( 書    籍 )

 

             しゅいんじょう
焼物免許の朱印状

(所蔵:個人所蔵)


天文16(1588)年5月14日 1通(朱印状)

 志戸呂焼は徳川家康が瀬戸の職人たちを招いて窯を開かせたのが始まりといわれ、遠州七窯の一つにかぞえられています。

 この朱印状には、「遠州志都呂(志戸呂)に在留致す瀬戸の者等、御分国(ご領地)中に於いて、焼物商売の役等、御免許に成られるの処、相違あるべからざるの旨、仰せ出で候者なり。よってくだんの如し」といった意味のことが書いてあり、家康が自らの筆で瀬戸出身の職人たちに領地内で焼物の商売をすることを認めていたことがわかります。

 昭和45(1970)年2月14日 金谷町(当時)指定文化財に指定されました。


       

      
   市指定文化財
 ( 書    籍 )

 

牧之原開墾地の絵図面と士族名簿

(所蔵:島田市博物館)


明治初期 絵図面16枚 士族名簿1冊

 明治維新後、仕えるべき幕府を失った多くの元士族たちが牧之原台地の開墾に携わりました。中條金之助景昭、大草高重らが明治2年に牧之原の開墾を政府に申請し、1400ヘクタールほどを得て元士族たちの入植が始まります。
 そのとき入植した200名あまりの士族たちの名簿と、300名あまりの住宅や部署が記載された開墾地の図面が残されています。

 昭和60(1985)年2月23日 金谷町(当時)指定文化財に指定されました。


       

      
   市指定文化財
 ( 書    籍 )

 

  おか の  や   け                
岡埜谷家中世古文書

(所蔵:島田市博物館)


天文16(1547)年 〜 永禄11(1568)年 6通

 上河内地区に残っていた古文書資料は、駿河の国を今川氏が治めていた四百年以上前の時代のものです。今川氏親の後室で、今川氏真の祖母にあたる寿桂尼(じゅけいに)や今川氏真の側室である早川殿ら、当時の今川家の実権を握っていた人物たちと地方の有力者たちとのやりとりが見られます。

 これらのうち、次の6点を昭和591984)年5月22日、川根町(当時)指定文化財に指定しました。

 

・瑞光院道音年貢定書 天文16(1547)年9月25日

 瑞光院からの年貢の納入を命じる通達について


・瑞光院道音等連署年貢定書 天文16(1547)年9月25日

 瑞光院ともう一名から、年貢の納入を命じる通達について


・池谷満重納物覚書 天文16(1547)年12月12日

 日向地区と上河内地区の公事物の書出について


・寿桂尼朱印状 永禄2(1559)年12月23日

 寿桂尼から岡埜谷五郎右衛門尉への安堵状


・寿桂尼朱印状 永禄6(1563)年9月11日

 寿桂尼が峯叟院へ一貫八百文の土地を与えたことを示す朱印状


・峯叟院宛今川氏真室早川殿朱印状 永禄11(1568)年11月

 早川殿から峯叟院にあてた朱印状。




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