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日野俊基歌碑/中御門宗行卿詩碑

日野俊基は、鎌倉時代の公家で、後醍醐天皇の親政に参加し、鎌倉幕府討幕にも参加した。その結果、正中の変(1324年)や元弘の乱(1331年)で捕らえられ、その乱の翌年、鎌倉で処刑されている。

この句は、鎌倉送りの際、承久の乱(1221年)の結果、後鳥羽上皇方の公卿で死罪となった藤原宗行と同じ境遇となった心境を詠んだもの。

「古もかかるためしを菊川の同じ流れに身をや沈めん」

(藤原)宗行は、鎌倉時代の公卿で、承久の乱(1221年)では、後鳥羽上皇とともに北条義時の追討を計画するが失敗に終わり、鎌倉に護送される途中、静岡(現御殿場市)で斬られる。この句は、鎌倉送りの途中、菊川の宿に泊まり、すでに自分の運命を予感し、その心情を詩に詠んだもの。

中御門中納言宗行卿題

「昔南陽県菊水 汲下流而延齢 今東海道菊河 宿西岸而失命」

菊川の里は、金谷・日坂が東海道の宿場町として繁栄する数百年前の鎌倉時代の初期には既に名の通った「街道の要所」で、菊川を有名にしたものの一つに「宋行卿」の故事が伝えられている。

日野俊基歌碑

交通アクセス

JR金谷駅から車で約10分

所在地

島田市菊川643-2(菊川の里会館前)

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