大谷内竜五郎幸重は彰義隊の9番隊長を努め神道無念流の達人であった。明治3年、開墾方として牧之原に移住した。大谷内を追ってきた斉藤・上野の遺族は、親の仇とばかり果たし状をつきつけた。大谷内は自分の命令で殺害したのではないが、隊長として全ての責任を負って、医王寺の本堂にて切腹、2人の遺族の手に命を任せた。
明治三年十二月二一日の夜。行年三十七才。
辞世・むら雲に月はかくれてありしかど今日はれて行く死出の山みち
交通アクセス
東名高速道路「吉田IC」から車で10分
所在地
島田市船木2380(岡田)