お知らせ(令和6年7月17日更新)
Meets SHIZUOKA 〜ゆるキャン△ × ラブライブ!サンシャイン!!〜 について
Meets SHIZUOKA ―出逢いの景色―
「ゆるキャン△」「ラブライブ!サンシャイン!!」ゆかりの地である静岡の名所を訪れるキャラクターたち。
彼女たちの出逢った景色をイラストレーター冬野カモメ氏の描き下ろしのイラストにてお届けしています。
イラスト枚数は、合計9種、静岡を西部・中部・東部の3つのエリアに分け3枚ずつ公開しています。
詳しくは、Meets SHIZUOKA Webサイト(外部サイト・別ウインドウで開く)をご覧ください。
静岡県島田市では、蓬莱橋897.4茶屋で「蓬莱橋 Ver.松浦果南/大垣千明」のイラストカードをプレゼントしています。
イラストカードのプレゼントは、予定数量に達し次第、配布終了となります。予めご了承ください。
出逢いの景色イラストグッズなど新発売!(令和6年7月17日掲載)
・場所:TOKYO 大丸東京店11階催事場
・期間:2024年7月26日(金)から8月5日(月)まで
・営業時間:10:00から20:00まで
※期間・営業時間は変更になる場合がございます。
※日にち・時間帯によっては事前整理券での受付となる可能性がございます。
その場合は公式X(@MeetsSHIZUOKA)より告知いたします。
詳しくは、Meets SHIZUOKA Webサイト(外部サイト・別ウインドウで開く)をご覧ください。
蓬莱橋897.4茶屋・蓬莱橋897.4広場について
- 蓬莱橋897.4(やくなし)茶屋・蓬莱橋897.4広場について(別ページへリンクしています)
蓬莱橋周辺には、観光案内及び煎茶ソフトクリームや地場産品など島田市のオススメ商品販売している「蓬莱橋897.4茶屋」や休憩やマルシェ・イベントなどでも使用をすることができる「蓬莱橋897.4広場」があります。
世界一長い木造歩道橋
大井川にかかる蓬莱橋(ほうらいばし)は、全長897.4メートル、通行幅2.4メートルの木造歩道橋です。現在も農道として利用されており、貴重な歴史的土地改良施設として県内外から多数の観光客が訪れています。国内でも数少ない賃取橋(ちんとりばし)として有名で、平成9年12月30日には「世界一の長さを誇る木造歩道橋」としてイギリスのギネス社に認定されました。長い木=長生きの橋、全長897.4(やくなし=厄無し」の語呂合わせで縁起のいい橋として人気があります。
蓬莱橋と富士山
よく晴れた日、橋の中ほどでは美しい富士山が望めます。(撮影:山本幸夫氏)
基本情報(令和5年4月11日更新)
名称
蓬莱橋
所在地
静岡県島田市南二丁目地先
渡橋時間
終日
アクセス
- JR島田駅から徒歩20分
- 新東名島田金谷インターから車で20分(8.5キロ)
- 東名吉田インターから車で15分(8キロ)
- 国道1号線旗指インターから車5分(3.5キロ)
蓬莱橋駐車場について
駐車場は無料です。
- 第1駐車場(橋より上流側の県道北側):普通車25台(うち障がい者等用駐車区画2台)、観光バス11台
- 第2駐車場(河川敷):普通車50台(うち障がい者等用駐車区画2台)(大型不可)
堤防天端には、障がい者等用駐車区画2台あります。
渡橋料金
歩行者(大人) | 100円 |
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歩行者(小人:小学生) | 10円 |
自転車 | 100円 |
1ヶ月定期券 |
800円 |
未就学児・障がい者手帳をお持ちの方:無料
お問い合わせ(令和5年9月13日更新)
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島田市役所農林整備課農林土木係 電話:0547-36-7170 |
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蓬莱橋番小屋 電話:090-7866-1056 |
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島田市役所観光課観光施設係 電話:0547-36-7394 |
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島田市観光協会 電話:0547-46-2844 島田市観光協会ホームページ(外部サイト・別ウィンドウで開きます) |
橋の通行について
- 夜間及び降雨・強風時の通行については、十分注意してください。
- 通行料金は、8時30分から17時00分までは、橋番が居ますので番小屋でお支払いください。
- 上記時間以外は、橋手前にある料金箱へお支払いください。
- 蓬莱橋周辺観光案内パンフレットてくてくウォーキング(PDF:410KB)
- 蓬莱橋とその周辺パンフレット(PDF:412KB)
今でも現役
大井川西岸にある牧之原台地は全国でも有数の茶園として知られています。
今でも東岸の農家が対岸の茶園を管理するために、農道として蓬莱橋を利用しています。
夜の蓬莱橋です。約720個のソーラーブリックが太陽の光を集めて光ります。
夜間及び降雨時の通行については、十分注意してください。
(蓬莱橋の名称表記について)
名称に使用している漢字はコンピュータの文字にないため、近い文字で表記しています。
蓬莱橋の由来
明治3年4月13日、静岡藩七十万石の藩主となった徳川亀之助(とくがわかめのすけ)=家達(いえさと)は、藩内の志太(しだ)・榛原(はいばら)・小笠(おがさ)の三郡を見回りました。そのとき、谷口原(やぐちばら)の中条金之助景昭(ちゅうじょうきんのすけかげあき)の住まいに立ち寄りました。
中条景昭は、明治2年、牧之原(まきのはら)開墾のため入植した幕臣(幕府につかえていた者)で、名前を潜蔵(せんぞう)と改めていた。
徳川亀之助(とくがわかめのすけ)は、谷口(やぐち)から大井川(おおいがわ)を越して御請新田(おうけしんでん)へ移り籠(かご)に乗って堤防沿いを見回りました。
横井十番出(よこいじゅうばんだし=いまの野球場入口付近。出(だし)は突堤のこと。)のあたりの堤防改修工事を視察した後、しばらく休けいしました。お供をしてきた潜蔵(せんぞう)に向かって、「農は里の宝、向こうの山は宝の山、みなで力をあわせ宝の山を切り開けよ。」と谷口原(やぐちばら)を指さし激励しました。
その後、谷口原(やぐちばら)は開墾がすすみ、島田町の開墾農家の人たちが、橋をかけてほしいという願いを県に提出しました。
明治11年12月5日には許可がおり、翌12年1月下旬には、いよいよ橋ができ上がりました。
そして、橋に名前をつけようということになりました。いろいろ意見が出ましたが、町内の識者に意見を聞いたところ、「藩候が谷口原(やぐちばら)を宝の山とおっしゃったことがある、それにちなんで『蓬?橋(ほうらいばし)』にしたらどうか。」と言ったので「それがいいだろう」ということになり、明治12年1月13日付けで、正式に「蓬莱橋(ほうらいばし)」が誕生しました。
蓬莱橋周辺整備について
蓬莱橋周辺は、かわまちづくり計画に基づいて、整備をしています。
山本譲二さんシングル「蓬莱橋」について
蓬莱橋が歌になりました。
山本譲二さんのニューシングル「蓬莱橋(ほうらいばし)」、平成24年11月21日発売!
CD情報(外部サイト・別ウィンドウで開きます)