市指定文化財 史跡
中山新道の道銭場・附料金表・古文書
明治時代 昭和45年2月14日指定 島田市佐夜鹿91-2
中山新道は、明治時代に金谷宿と日坂宿の間を切り開いてできた有料道路で、道銭場は中山新道の料金所跡です。江戸時代、小夜中山(さよのなかやま)の峻険な峠は東海道の難所として知られていましたが、明治4(1871)年に、道路や橋の建設修理工事を行った者が、かかった費用を交通料として徴収することができるという有料道路の建設を認める太政官布告が発令されると、金谷の杉本権蔵が小夜中山を切り開いて道路を建設することを思い立ちました。中山新道は全長約6.7km、人夫延数万人をかけて明治13(1880)年5月30日に完成しました。
(附料金表)
・料金表読下し文
一金壱銭弐厘 歩行壱人
一金壱銭八厘 空人力車壱輌 但 車夫共
一金弐銭 牛馬壱疋
一金六厘 分持壱荷 但 米穀負担共準之
一金壱銭 指長持壱棹
一金参銭八厘 荷牛馬壱疋 但 牛馬丁共
一金五銭 空馬車壱輌 但 馬丁共
太政官布告に基づき整備された有料道路は、この時すでに箱根国道が人力車専用道として整備されていましたが、有料道路として一から建設を行ったのは中山新道が最初となります。中山新道は開通した当初こそは多くの旅人で賑わいましたが、明治22(1889)年に国鉄東海道線が全通したことで利用者は激減し、道銭場の収益も急激に落ち込み償却不能に陥ってしまいました。最終的には明治35(1902)年7月17日付で中山新道は公道に編入され、道銭場は閉鎖されました。