細島村の庄屋であった増田五郎右衛門は、文化13年(1816)暴風雨に襲われ年貢が納められなくなった農民を代表して田中藩に年貢減免の直訴をしました。訴えは認められ減免されますが、首謀者として増田五郎右衛門は処刑されてしまいました。農民たちは亡骸を全仲寺に葬り、毎年命日に「首切り正月」と称して農作業を休み慰霊に励みました。大正13年に記念碑を建立し、昭和59年にはお墓を新しくしました。現在は顕彰会によって墓前祭「五郎祭」が執り行われ、増田五郎右衛門の功績をたたえ地域の人々の間に語り継がれています。
義人碑
生家跡・井戸
墓・記念碑