現在、下記工期にて島田宿大井川川越遺跡「川会所」の移設事業を行っています。
移設事業期間中、川会所は見学することができません。
ご理解・ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
工期:令和7(2025)年8月18日(月)~令和10(2028)年1月31日(予定)
川会所にて展示していた資料(川越制度についての説明パネル、連台などの用具)は
三番宿、十番宿にてご覧いただくことができます。(無料)
三番宿
江戸時代、大井川を渡るために使用した「連台(れんだい)」を展示しています。
十番宿
大井川を人力で渡した専門集団「川越人足(かわごしにんそく)」について、
大型に印刷した浮世絵やミュンヘン五大陸博物館(ドイツ)提供の絵を以て展示しています。
川会所とは
日本で唯一、川越しの歴史を伝える「島田宿大井川川越遺跡」。この遺跡の一角にあるのが「川会所」です。
川会所は、江戸時代に大井川を渡る料金の決定や、川越しに従事する川越人足の管理などを行った役所です。
現在の建物は、江戸時代末期に起こった安政の大地震で以前の川会所の建物が倒壊したため、
安政3(1856)年に建てられました。
川越制度が廃止された明治期以降は、学校や臨時収容所など役割を変えながら市内での移築を繰り返し、現在の場所で保存されています。
令和7(2025)年から川会所を、150年ぶりに江戸時代にあった場所へ戻す移設事業を行っています。
現在の川会所 道悦島小学校として使用された川会所の建物
川会所の歴史
安政年間(1854~1860) 安政の大地震により倒壊。現存する建物に建て替え(位置図①)
明治3(1870)年 川越制度の廃止。
明治7(1874)年 聖川舎(寺子屋)として使用(位置図①)
明治11(1878)年 島田学校(現 島田第四小学校)として柳町に移築(位置図②)
明治19(1886)年 道悦島小学校(現 六合小学校)として道悦島に移築(位置図③)
昭和7(1932)年 市民による保存運動が起こる。済河館として、稲荷町に移築(位置図④)
昭和20(1945)年 戦後引揚者の臨時収容所として使用
昭和45年(1970)年 再び市民による保存運動が起こり、現在の場所に移築(位置図⑤)
島田市内を移転した川会所の位置図